Asahara in LSD (2)
2013年 03月 06日
それからの僕は、友人や会社の同僚など、誰かに会えば必ずその話をした。
大抵はドラッグを摂っての話だろうと一蹴された。
わかってくれる人はほとんどいなかったが、僕がただでたらめを言っているわけではないと思ってくれる人もいた。
時は1999年、ノストラダムスの予言に2000年問題など未来がどうなるか全く予想がつかなかった時期だ。
1999年の7月そしてミレニアムの大晦日は何事もなく過ぎた。
それでも僕は自分の体験の伝導を続けていたが、時が経つにつれ会う全員に話をする事はなくなった。
その後は、話に興味を持ってくれそうな人にだけ話すようになった。
ミレニアムから数年が過ぎた頃、僕は東京でタクシーの乗務員をしていた。
会社のあった場所は東京拘置所から近く、気が向くとタクシーで拘置所に行っては駐車場から中にいるはずの麻原に話しかけた。
「世間ではあなたは大悪人という事になっています。そして本当のところがどうなのかは僕にもわかりません。ただもしあなたが世の破滅を防ぐためにそれをやったのだとしたら、僕たちはとんでもない勘違いをしている事になります。もしそうであったらごめんなさい。」
何回か通ったある日、いつものように話しかけて去ろうとした時に何か声がした気がした。
「上祐に会ってみてはどうだ?」
一瞬びっくりしたが、その日はそのまま立ち去った。
一週間後、ネットを覗いているとヤフーのトピックスで上祐氏がmixiを始めたという記事が目に入った。
これは何かあるに違いないと思った僕は、早速上祐氏に友達申請をしてすぐにマイミクになった。
しかしすぐに彼に会いに行く事はなかった。
オウムを去った彼は、ひかりの輪という団体を立ち上げていた。
団体のサイトを見る限り、おかしな教義に走っているようには見えなかったが、とは言え相手は殺人集団と呼ばれる団体の広報部長を務めた人だ。
行くか行くまいかを迷う日々が続いたが、ついに行く事を決心した。
彼とマイミクになってから2年後、2011年1月15日の事だ。
その日の夕方、千歳烏山にある団体の修業場を訪ねた。
彼に会った僕は、少し緊張しながらも12年前の体験の全てを彼に話した。
僕の話を聞いた彼は、次のように答えた。
「それは、麻原に対する小林さんの慈悲の心が産んだ幻想ですね。」
「そうですか?」
「はい。私はご承知の通り麻原の近くで何年も過ごしたため何が起きているかよく知っています。逮捕後も面会に行って彼に会っていますが、小林さんの思うような彼ではありませんよ。」
正直言うと彼の言葉には少しがっかりした。しかしすぐに気を取り直した。
「わかりました。僕はこの事を誰かオウムの関係者に話したかったのです。今日はそれが叶っただけで十分です。」
それから少し彼と話を続けた。彼は、オウムの事件があってからの事を話してくれた。
話を続けて、お互いに打ち解けてきた頃、彼が次のように話し出した。
「実は、僕も小林さんと同じ体験をしているのですよ。」
「ほんとですか?」
「小林さんの体験の後ですが、麻原の呪縛からなかなか逃れられずに苦しんでいた時、全く同じ体験をしました。私はそれで麻原をすっぱり諦める事ができたのですよ。」
修行場を出た僕は、あの体験をついに関係者に話せた事に心底すっきりしていた。
自分の体験が合ってようが間違っていようがもはやどうでも良かった。
明るい気持ちで修業場を後にした僕は、家路へと向かった。
大抵はドラッグを摂っての話だろうと一蹴された。
わかってくれる人はほとんどいなかったが、僕がただでたらめを言っているわけではないと思ってくれる人もいた。
時は1999年、ノストラダムスの予言に2000年問題など未来がどうなるか全く予想がつかなかった時期だ。
本当の理由を見つけられれば悪は解決できるとの想いに取り憑かれていた僕は、少しでも良い未来を引き込もうと必死になって自分の体験をみんなに伝えていた。
1999年の7月そしてミレニアムの大晦日は何事もなく過ぎた。
それでも僕は自分の体験の伝導を続けていたが、時が経つにつれ会う全員に話をする事はなくなった。
その後は、話に興味を持ってくれそうな人にだけ話すようになった。
ミレニアムから数年が過ぎた頃、僕は東京でタクシーの乗務員をしていた。
会社のあった場所は東京拘置所から近く、気が向くとタクシーで拘置所に行っては駐車場から中にいるはずの麻原に話しかけた。
「世間ではあなたは大悪人という事になっています。そして本当のところがどうなのかは僕にもわかりません。ただもしあなたが世の破滅を防ぐためにそれをやったのだとしたら、僕たちはとんでもない勘違いをしている事になります。もしそうであったらごめんなさい。」
何回か通ったある日、いつものように話しかけて去ろうとした時に何か声がした気がした。
「上祐に会ってみてはどうだ?」
一瞬びっくりしたが、その日はそのまま立ち去った。
一週間後、ネットを覗いているとヤフーのトピックスで上祐氏がmixiを始めたという記事が目に入った。
これは何かあるに違いないと思った僕は、早速上祐氏に友達申請をしてすぐにマイミクになった。
しかしすぐに彼に会いに行く事はなかった。
オウムを去った彼は、ひかりの輪という団体を立ち上げていた。
団体のサイトを見る限り、おかしな教義に走っているようには見えなかったが、とは言え相手は殺人集団と呼ばれる団体の広報部長を務めた人だ。
行くか行くまいかを迷う日々が続いたが、ついに行く事を決心した。
彼とマイミクになってから2年後、2011年1月15日の事だ。
その日の夕方、千歳烏山にある団体の修業場を訪ねた。
彼に会った僕は、少し緊張しながらも12年前の体験の全てを彼に話した。
僕の話を聞いた彼は、次のように答えた。
「それは、麻原に対する小林さんの慈悲の心が産んだ幻想ですね。」
「そうですか?」
「はい。私はご承知の通り麻原の近くで何年も過ごしたため何が起きているかよく知っています。逮捕後も面会に行って彼に会っていますが、小林さんの思うような彼ではありませんよ。」
正直言うと彼の言葉には少しがっかりした。しかしすぐに気を取り直した。
「わかりました。僕はこの事を誰かオウムの関係者に話したかったのです。今日はそれが叶っただけで十分です。」
それから少し彼と話を続けた。彼は、オウムの事件があってからの事を話してくれた。
話を続けて、お互いに打ち解けてきた頃、彼が次のように話し出した。
「実は、僕も小林さんと同じ体験をしているのですよ。」
「ほんとですか?」
「小林さんの体験の後ですが、麻原の呪縛からなかなか逃れられずに苦しんでいた時、全く同じ体験をしました。私はそれで麻原をすっぱり諦める事ができたのですよ。」
修行場を出た僕は、あの体験をついに関係者に話せた事に心底すっきりしていた。
自分の体験が合ってようが間違っていようがもはやどうでも良かった。
明るい気持ちで修業場を後にした僕は、家路へと向かった。
(つづく)
by tenpapa2013
| 2013-03-06 01:30