カテゴリ:子育て・教育( 6 )   

Twitterまとめ 『ママ友』   

昨日妻とママ友の話をしました。ママ友の世界というのもなかなか壮絶なようですね。皆でグループを作り何かのために力を合わせるという点は喜ばしいのですが、誰かを排除しようという方向にグループが向かうと色々な歪みが出るようです。妻からはそれは権力であるとの指摘がありました。

結局世に蔓延る権力志向がママ友たちにも影響を与えるのでしょう。旦那さんが「何かあったら僕が君を守るからおかしな方向へは行くな」と言って抱き締めてあげれば全ては解決すると僕は思うのですが、会社でそのエネルギーの殆どを吸い取られてしまう旦那さんにそんな余力はないのが現状でしょう。

家事育児に奔走するお母さんたちにも、仲間の権力志向に立ち向かう余力が到底あるとは思えません。幼稚園や保育園が園外の事に口を出す事ももちろんできず、よってこの問題は一部の幸せでないお母さんたちの望む方向へただ進む事となります。まさに社会の縮図と言って過言ではありません。

この問題を解決するには「グループは他者を排除すべきでない」という原則を社会が揃って受け入れるか、または幸せでない所へは近付かない事しか方法がないと思います。実際園では幼児たちに皆仲良くするよう教えます。親が幼児以下の事をやるのはやはり社会がそうだからとしか言 いようがありません。

なぜ僕たちの社会はここまで歪んでしまったのでしょう。それは社会が何も疑わずに三次元的なものに価値をおいてきた事が原因と思われます。進化の過程においてはそれは全く必要な事なのですが、そこに歪みを見ると言うことはいよいよその概念を卒業する時が来たということでしょう。

三次元的なものとは二元性の片割れだけの事を言います。ここ三次元世界は「暑いー寒い」「金持ちー貧乏」など全ての事象が相反するものつまり二元性として存在しています。この二元性の片方のみに興味を抱く時に、三次元的なものを追い求めている事になります。

二元性の両方を受け入れる事を愛と言います。暑さと寒さの両方を楽しむ時、僕たちは「気候」を愛しています。金持ちと貧乏のどちらをも楽しむ時、僕たちはこの「資本主義ゲーム」を愛しています。芸術はこの事実を知っていますが、効率を重視する社会はこの事実を意図的に無視してきました。

幼児はお利口とおバカさんのどちらも楽しむ事ができますが、社会はそれを許しません。幼児はもらうのもあげるのもどちらも好きですが、社会はもらう事はまだしも理由もなしにあげる事は理解できません。そんな社会が幼児より自分達の方が優秀だと疑いもなく信じる所に歪みの原因があります。

幼児が優秀なのは、彼らの方が愛が深いからです。三次元の流儀に染まっていない彼らは産まれる前の世界、つまり愛に満ちた故郷を覚えています。その故郷での流儀を押し通そうとする彼らと、三次元的なものを疑い無く押し付ける社会の狭間にあってお母さんたちは苦しむのです。

この手も足も出ないような状況で、僕と僕の仲間たちは朗報としてこの社会の崩壊を伝えています。それは社会が三次元的なものを手放し愛に向かい始める変化の事ですが、社会が価値をおいていた三次元的なものがあまりにも多いため崩壊という表現になります。真実は僕らが全員愛に目覚めるという事です。

それが崩壊である以上必ず混乱を伴います。三次元的なものに重きをおいていた人ほど、その時には大いに混乱をきたします。しかしそれでも僕たちは幼児と大人が皆笑い合って暮らす幸せの地平を求めるのではないですか?その意を固くするために今のような不幸が起きているのではないですか?

現社会の崩壊を喜ばない人へは次のように伝えます。確かにこの社会にも良い点はあったかも知れません。しかし放射能をほったらかしにし、金持ちのみが良い暮らしを享受し、しかも地球をただひたすら壊し続けるこんな社会は崩壊した方がいいのではないですか。この社会は戦争一つ否定できないのですよ。

僕と仲間たちは愛に満ちた世界がすぐそこに来ている事を伝えます。それは何年も先の事ではありません。数ヶ月いやあと数日でそのような変化が起きると伝えています。この変化を抑えている理由は僕たちの多くがそれを受け入れる意志を持っていないからです。パニックを防ぐためにそれは延期されています

100匹目の猿の話はご存知ですか?ある臨界数の個体が同一意識になると種全体が変化を起こすというものですがこの現象が人類という種にまさに起きようとしています。人類種全体の認識を激変させるかの勢いでもの凄い数の人々が世界中で目覚め始めています。今日そこに届いてもおかしくない勢いです。

今日はママ友の問題から話を始めましたが、ママ友の問題だけでなく全ての社会的問題を解決する出来事が間近に迫っている事を知って下さい。その出来事を乗り越える最良の方法は、三次元的なものにもう重きをおかない事です。今を苦しむ人にはそれができます。それが楽になるための最も近道だからです。

幸せでないものに近付く事は、この出来事での試練を増す可能性があります。何が本当の幸せかわからない方は、幼児の純粋な感性にそれを尋ねてみるといいでしょう。彼らはもちろん突拍子もない方向を求めますが、その突拍子のなさは僕たちがどれだけ三次元にとらわれていたかの証しでもあります。

幼児たちが幸せであるように親が暮らしぶりを変える事は、この時期最も歓迎される行為です。その勇気を持つ事のできた家庭は、これから起きうる大激変を必ずや乗り越え、五次元という永遠の幸せの境地に到達する事ができるでしょう。何度も言いますが、それは本当にまもなくの事です。Love
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by tenpapa2013 | 2013-11-29 03:23 | 子育て・教育

子供の教育について   

子供の躾に最も必要なのは、親子間の信頼です。

信頼があれば、いざと言うとき子供は親の言うことを聞きます。

または、親の言いたいことを理解した上で、最良の判断をしようとします。

学校も含めて、社会生活というのは刻一刻と変化しています。

その変化する生活に対応していくには、親の体験だけでは不十分です。

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by tenpapa2013 | 2013-04-30 14:28 | 子育て・教育

子供-KODOMO   

ある夜、息子が急に友達の家に行きたいと言い出した。

友達のお父さんと僕は飲み友達なので夜訪ねるのは特にタブーではないのだが、その日は一日子供の相手をして疲れていた。


「ねえ行こうよ~」


「今日は家でゆっくりしよう」


「行こうよ~」


渋々腰を上げると、今度は自転車で行こうと言い出した。

彼らの家は歩いて3分位の距離だ。


「自転車で行こう」


「すぐそこだから歩きでいいよ」


「自転車!」


またも渋々自転車を出すことになった。

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by tenpapa2013 | 2013-04-30 12:02 | 子育て・教育

俺の子育て(3)   

子供には、俺たちが思う以上の向上心が備わっている。

その向上心は、好きなことにしか発揮されないため、多くの大人たちがその凄さを見逃しがちだ。

しかし、それはあまりにももったいない話だ。

この向上心さえ刺激してやれば、子供はどんな存在にも育つのだ。


では、子の向上心を引き出すにはどうすればいいのか。

子供には、どんな子にも共通する大好きなものがある。

友達だ。

友達といつも一緒でありたいと思う彼らは、友達がやることの何にでも興味を持つ。

そして、一旦興味を持つと疑うことなくその興味に邁進する。

親にとって、子が友達と興味を共有することは、成長を喜ぶ反面、心配な側面もあるだろう。

それでも、子の興味の全てを親が与えることはできない。

子育てにおいて、友達の存在は不可欠である。

これは、この数カ月で強く学んだことだ。


結論から言うと、もし俺たち親が子の健全な成長を望むなら、まわりにいる子供たちにも一緒に向上してもらうしかないのだ。


おそらく、今の親たちのほとんどが、自分の子だけは良くなってほしいと、切に願っていることだろう。

その気持ちはわかるが、この考えには認識が一つかけおちている。

それは、子供同士の世界は、大人たちのそれよりバラバラでないということだ。

その証拠に、子供同士はすぐ仲良くなるが、大人同士はなかなかそうはいかない。

大人の場合は、何かに巻き込まれた時のリスクが大きいから、つまり信頼が育ちにくいのが原因だと思うが、しかし会わないからと言ってその人が街から消えたわけでは決してない。

逆に、できた溝は知らないうちにどんどん広がり、いつか大きな問題となって返ってくる可能性を孕む。

それを知ってか知らずか、子供たちは大人の作ったこの壁に風穴を開けてまわる。

それではまずいということに彼らの好奇心が反応するからだろうか。



子供たちの積極的に人と関わろうとする姿勢に、戸惑う親も多いだろう。

なかには、そういう行動は余計なこととして、子を非難する親もいるだろう。

気持ちはわかるが、社会の健全性を考えるなら、これは逆に歓迎すべき事だ。

実際、社会との関わり方については、子供たちの方がよくわかっているふしがある。

彼らは、毎日学校で社会生活について学んでいる。

親は子供のそういう行動を迷惑がるのではなく、自分たちの代わりに地域社会に関わってくれる事を喜ぶべきだろう。

要はアンテナだ。

細い路地の隅々から近所の人の人間関係まで、全てを見てまわる優秀なアンテナ、子供の行動をそう考えることで、地域社会における安心を少しは得ることができるのではないか。


子供は、夫婦間だけでなく、地域社会においてもかすがいになることができる。

この子供たちの性質を利用しない手はない。

なんて言ったって、俺たち大人は本当にそれが苦手なのだから。



最後に、ここまで書いて気付いたことだが、地域に真剣に関わるには、やはりそれなりの覚悟はいる。

子供たちは素直であっても、親御さんにはどんな人がいるかわからない。

よかれと思ってやった事がいつ非難されるかわからない、その事だけはいつも忘れないようにしている。


どうしてそこまでするのか、そう聞かれる時がある。

その答えは、将来の問題を防ぐためという事にやっぱりなるのだろう。

子供とは、可能性だ。

育て方しだいで、良くも悪くもなる。

良く育てればいいものが、悪く育てれば悪いものが返ってくる。

だから俺はよく育てたい。

それには、誰の子だということは関係ない。


「みんな一緒」


子供たちに教わった、最も大事な言葉だ。
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by tenpapa2013 | 2012-03-24 14:01 | 子育て・教育

俺の子育て(2)   

この家には、来たい子を全員連れてくるように伝えている。

たまに、あいつは嫌だと他の子が言う時があるが、それでも来たい子は一応連れてこさせて様子を見る。

文句を言った子を逆に追い出すときもある。

そうやって様子を見ていると、子供というのは本当に順応性というものを備えている事がわかる。

うちにはルールがあり、それを子供たちが一生懸命守っている。

初めて来た家で、それを吹き飛ばしてしまおうという子はなかなかいないし、逆にみんなと同じようにやろうとする子がほとんどだ。

そして、一度素直になれば、さっきまで仲たがいしていた子たちもケロッとして一緒に遊ぶ。

一人だと、言い聞かせるのが難しいと思ったことも、大勢だとまわりの真似をして聞くようになる。

学校が、どのようにして子供たちをまとめているかがわかった気がした。


彼らの親御さんとの関係も大事なことの一つである。

うちに来たことを親に言っていない子もおそらくいるだろう。

そのような家があることを説明できないのが理由だと思うが、俺はこの家であったことはありのまま話していいといつも伝えている。

俺は、失業給付の出る来月までは家にいられる。

その間に出来るだけいろんな事を教えてしまおうと考えているが、親御さんにしてみれば、毎日フラフラしている者の家に子をやるのは、はっきり言って心配だろう。

それでもまだ苦情が来ないのは、子供たちにあからさまな悪影響が見えないからだと思う。

子供たちは、いい子にしていれば、いつもここで遊べることを知ってる。

そういう意識は、例えば外遊びをしていても必ず何かの行動になって現れる。

親御さんたちは、それを見て静観してくれているのではないかと、期待半分に思っている。


さて、ここまで来ると、自分が何をやりたいかということにさすがに気が付くようになった。

俺は、子供たちの力を借りながら、近所の人が仲良くなる手助けをしたいのだ。

うちは23区とはいえ、かなりの下町だ。

もう少し近所付き合いがあってもいいかと思うが、そこはご多分に漏れずみんなシャイで、なかなか挨拶以上の関係には発展しない。

そこで俺は、子供たちのお父さんに目をつけた。

お母さんたちと話すには、どうしても遠慮というものが入るが、お父さん同士で一杯やれば、大抵の話はできる。

この近所に、頼りにしているお父さんたちが5人いる。

みな、人の子も関係なく叱ってくれるお父さんたちだ。

いざという時は、このお父さんたちのところに行くようにと、いつも子供たちに話している。

そして、子供たちは喜んでその話に頷く。

きっと地域の大人たちに見守られているというのが、嬉しいからだろう。


さて、そんな事を繰り返すうちに、段々いい子になってきた彼らではあるが、そこはやんちゃ盛りの子供である。

いつも大人しくしている訳がない。

最近の俺は、子供たちによく怒鳴る。

他の子であっても関係ない。

怒鳴る激しさで、子供たちに訴える。

鬼のような迫力を演出し、目を見据えて怒鳴る。

最初はみんな泣いていたが、最近はこっちの本心に気付き出したようだ。

俺が怒鳴り出すと、みんなさっと姿勢を正してニコニコしながらこっちを見るようになった。

そして、もう気を付けようと誰かが言い出す。

テキパキ動き出した彼らを横目に、怒ったフリのまま自室に戻った俺は、彼らが一生懸命話し合っているのに聞き耳を立てながら、一人ほくそ笑んでいる。

(つづく)
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by tenpapa2013 | 2012-03-24 14:00 | 子育て・教育

俺の子育て(1)   

うちには、よく近所の子が遊びに来る。

小学生の高学年から保育園児まで、まるで駄菓子屋に寄るかのような感覚でやってくる。

来るのは男の子が多く、部屋などすぐめちゃくちゃにされるのだが、それを叱っているうちにあることに気が付いた。

それは、一人を叱るのと大勢を叱るのでは、彼らの受け止め方が全く違うということだ。


一人だけを叱ると落ち込むが、大勢を叱るとみんなで何とかしようとする。

うちは嫁が不在がちのため、どうしても息子に甘くなってしまっていたが、みんなと一緒に叱るなら、息子もそれほど傷つかずに済む。

これは面白い、そう思った僕は、それから積極的に子供たちを受け入れるようになった。


まずは、ルールを作るところから始めた。

と言っても、やってくる子の多くは小学校低学年、難しいことを言ってもわかるはずがないので、できるだけ簡単なものをと思い、次の二つのルールをまず守らせることにした。

・うるさくしない
・喧嘩をしない

これはうちの憲法みたいなもので、これを破ると即退場になる。

退場になる子に反省してから来いと言うと、ちゃんとどこかで時間をつぶしてから、もうしませんと帰ってくる。

コツは、ニコニコ追い出すことだろう。

怒って追い出すと、売り言葉に買い言葉で彼らの反省の機会を逃してしまう可能性がある。

ニコニコ追い出すと、感情ではなくルールを守るためにそうなったのだということを理解しやすくなる。

ちなみに、この二つのルールには一応順序がある。

仲良くする方が大事かと思うが、実は静かにする方が先だ。

仲良くなくても、静かにさえしててくれれば、こっちは気にならずに済む。

それに、仲たがいをすると必ずうるさくなるので、結局は仲良くせざるを得ない。

うまいルールが見つかったと思った。


もう一つ、これは明文化はしていないのだが、徐々に彼らに染み込みつつあるルールがある。

連帯責任だ。

こういうことがあった。

彼らの仲間に悪さばかりする子がいる。

あまりにも親を泣かせるため外出禁止になったが、それでも平気な顔をしてやってくる。

今日は家の人がいいと言ったというので家に入れると、後から彼の親が来て、そんな事言った覚えはない。二度と入れないで欲しいと言われる。

そういう時、僕は彼だけでなく全員を追い出すようにしている。

一人だけ追い出す気か、みんな行ってやれ、そういうと、ぶつぶつ言いながらもみんな出て行く。

でもそこは子供だ。一旦外に出てしまえば、すぐに元気な声が聞こえてくる。


そんなことを繰り返していたら、子供たちに変化が起き出した。

子供たちが、その子に注意をするようになったのだ。


「おい、お前今日は家の人に言ってきたのか?」


「宿題やったのか?」


こいつのためにいちいち追い出されてはかなわんと思ったのだろうが、それでも子供同士が友達をちゃんとさせようとする姿は非常に微笑ましい。

これには、その子の親御さんも驚いたようだった。


(つづく)
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by tenpapa2013 | 2012-03-24 13:58 | 子育て・教育