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Twitterまとめ 『日本の近未来』   

久しぶりに日本に帰ってきて驚いたのは消費税が8%になっていた事です。ダイソーで5点買い物をしてレジで525円用意をしたら540円ですと言われその時に消費税が上がった事に気が付きました。「あっ消費税上がったんですね」と言ったら冷たく無視された事も日本に帰ってきた事を実感させました。

レジの店員さんの冷たさは異質なものを嫌う日本人の特徴をよく現していると思います。僕は消費税が上がったという社会現象についてたった2ヶ月認識が遅れただけですが、今の日本で2ヶ月の認識の遅れは異質と判断させるためには十分なようです。2ヶ月社会から遠ざかると異質になるという事です。

異質を目にするという事は、理解した方がいい何かが到来したという事です。顕著な例は、身内に認知症の疑いが現れた時ですね。大抵の方はそれが外部に漏れるのを恐れ必要以上のプロテクトを行いますが、認知症患者の何割かはより祝福された世界へ向かうことを選択してそうなっています。

要は幼子の感覚で死を迎えようという想いが、一般の人にはまるで異質の階段を一人昇り始めてしまったように映るのです。彼らが恥ずかしい存在だと信じる者は、今はマジョリティなので安心を得ていますが、認識が反転した際にはまるで気違いの中に放り込まれたような恐怖を体験するでしょう。

異質を受け入れるという事は、共存感覚を養うという事です。店員さんの例で言えば、社会に乗り遅れても戻ってくるちゃっかりが存在する事を彼は知る必要があったのかも知れません。認知症の方の家族は、社会よりも身内へ愛情を注ぐ事の大事さにいずれ気付く運命の優しい方々なのでしょう。

既存社会は、これから異質を排除する傾向をますます強めます。僕達が「創造する者」としての本質に目覚めるその時まで、既存社会はその非人間性をますます明らかにし始めます。これは僕達の自立を促すためにそうなるのであり、それに耐え忍ぶ事が目的なわけでは決してありません。

どちらにしても、人間性が大事だと心の奥底で知る者はこの先必ず社会から脱落します。人間性よりも日々の贅沢、優越感、目先のきらびやかさを大事にする者たちが、崩壊を間近に控えるこの社会に残ります。彼らには最後まで改心の機会が与えられますが、異質の排除が進むほどにその機会は減少します。

彼らは争いを好む者だけが周りにいる事にいずれ気付きます。彼らは自らの優越感を満足させるために、劣っているとの認識を許す心の優しい人たちを探しますが、そういう人たちは既に同じ心を持つ者同士で争いのない社会を発達させ、争いの元では実現し得なかった恒久的平和のための新技術を開発します。

その技術は、争いを持ち込もうとする者たちの侵入を決して許しません。結果、愛を選択した者は天国に住まい自分の利益を選んだ者は争いという名の煉獄へ放り込まれます。これが日本の近未来です。遠い先の話ではありません。何人かの方は気が付いているように、それはもう始まっています。Love
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by tenpapa2013 | 2014-05-27 15:27 | 最後の審判

Twitterまとめ 『アナログ化のすすめ』   

自然というのは時に僕達の理解を超えた現象を引き起こします。農業で言えば、気候等の条件は変わらないのに昨年度と今年度の収穫が全く違う事があります。自然とは、自然治癒力という言葉があるように「生かす」方向に向かうエネルギーそのものの事です。物理学ではこれをネゲントロピーと言います。

自然の本質が生命を生かす事にあるなら、全ての自然現象はその総体における生命力の増大を求めて常に起きている事になります。今年の凶作は、自然総体の生命力を増大または維持させるための結果かもしれません。一つ言えるのは、今の文明に生きる僕達にその真意は決してわからないという事です。

自然の真意がわからない僕達は、通常対処療法にて対応を行います。凶作なら多く肥料をまく、虫が発生すれば農薬をまきますが、自然の真意を理解せずに行う行動は多くの副作用を引き起こす恐れがあります。例えば、農薬によって死に絶えた虫の代わりに自然が何を用意するかは僕達にはわかりません。

自然の真意に近付く為に僕達ができる事は、できるだけ自然と共に暮らす事です。そうすれば自然というもののノリを理解できます。しかし今の僕達は、自然から身を離す生き方こそ進歩した姿だと思い込んでいます。人間の思い通りには決していかない自然の偉大さを面倒なものと決め込んでいます。

自然とはアナログです。アナログとは同じものがないという意味です。同じものがないという事は毎回新しい発見があるという事であり、そして毎回が新しいという事は常にオリジナリティを保っているという事になります。生命力、オリジナリティ、今を生きる、これらは全て同義語です。

対してデジタルとは複製が可能という意味です。オリジナリティのないデジタルに生命は存在せず、ただ情報としてのみ価値を持ちます。そんなデジタルによって僕達は、映像、音楽はもとより例えば味覚は化学調味料、触覚は化学繊維、嗅覚は香料など五感で認識するものの殆どを賄われています。

精子と卵子もその一例です。女性の体内で月にたった一個産み出される卵子は生命を有するアナログな存在ですが、一回の射精で何億もの個体が放出される精子はDNAデータのまさにコピーです。アナログ抜きのデジタルが存在し得ないように、肉体としての男性は女性抜きで存在する事ができません。

成長する植物の体長を確定する事はできません。アナログ時計で時間を確定する事もできません。僕達には確定できるものをありがたがる傾向がありますが、円周率、自然対数など割り切れないものの中にこそ生命の秘密が控える事を知るべきです。確定できないものの中にこそ偉大さを見るべきです。

僕達がまず必要とするのは情報ではなく生命力です。しかし社会が求めるのはデジタル化された僕達です。もし個人の全てがオリジナリティを発揮したら会社も行政もやっていけません。それは既存の社会の崩壊を意味しますが、僕達が自然としての存在に立ち返るならその日は必ずやってきます。

これからアナログつまり自然的な態度を主として生きる人と、デジタルつまり複製された社会人として生きる人に人間は分かれます。アナログに向かった人たちは、文明社会からの離脱を体験した後にオリジナルな生き方を発見します。デジタルに向かった人たちは、崩壊という運命を既存社会と共にします。

人間は誰しもが赤ん坊そして子供というアナログな存在でした。その後社会の一員となり、デジタル的存在である事を強要され現在を迎えています。五感認識を含めた社会から受けるデジタル化のための洗脳は非常に強烈であり、殆どの人がオリジナリティつまり今に生きる事を忘れてしまっています。

複製が複製でない生き方をするには、例えば整然とした在り方に一人逆らうかのような、異質呼ばわりされる事を受け入れる勇気が必要です。この勇気は、誰かを異質呼ばわりした経験があればあるほど大きく必要になります。崩壊を恐れる人はもう誰かをを異質呼ばわりしてはなりません。

本来の姿である自然存在に立ち返る、この喜ぶべき事が恐れられるほどに僕達の社会はベクトルを逆に向けています。しかしどれほど既存社会がその崩壊を阻止しようとも、ただ力を抜く事が作業のこの変化は、アナログ的存在である子供そして女性に先導され、近いうちに達成されるでしょう。

起きたことの全てを自然の意思として受け入れる、そう思わなければ生きていくことのできない時が非常に近付いています。Love
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by tenpapa2013 | 2014-05-27 02:04 | 最後の審判