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Twitterまとめ 『日本人とイスラム』   

ないというと持ってきて下さる方がいるので、あまり大っぴらには言わないのですが、僕、実は心配ないんです。呟きなどで心配しているような事よく言いますが、あれはただ楽になって欲しくて言ってるだけで、最後にはぜーんぶOKになるの知ってます。僕には世の中は天国が化粧してるように見えます。

天国が化粧しているというのは、要は赤ちゃんが化粧しているようなものです。そのままが一番素晴らしいのに、人間の考えで余計な事をしてしまってる感じです。何でこの世の中が天国かと言うと、望みが全て叶う事に気が付いたからです。望みは叶うのに叶わないという化粧をせっせとやってる感じです。

「望みが叶う」と「問題がない」は同義語です。望みがあるという事は問題があるという事です。問題が全くなければ望みは存在しません。では、どうすれば問題がない状態になれるのか。簡単に言ってしまうとイメージングです。想像力を働かせて、問題が実は問題でないという「想像」を産み出すのです。

例えば約束した待ち人に会えなかったとします。それを良くない事だと考えれば問題ですが、実りある再会のためにそれが起きたと考えれば問題ではありません。僕達は誰でも想像力にちょっと優しい気持ちを加えるだけで、問題を問題でなくする事ができます。必要なのはそれを行おうとする意志だけです。

想像力が許す範囲で、僕達はいくらでも問題を問題でなくする事ができます。確かに一人一人の想像力には限界があるかも知れませんが、今はネットで世界中の人と会話ができる時代です。僕達が抱える問題など何とも思わない人が世界には沢山いるはずです。あるたった一つの問題を除いては。。

世界中の人の想像力をもってしても解決を得られないかも知れない問題、これは悪魔に由来する問題です。悪魔とは神のようにふるまう力を持ちながら、神とは真逆のつまり人々が泣き苦しむ事を喜ぶ存在の事です。悪魔の持つ力は僕達の想像を遥かに越えるため、僕達にその解決を想像する事はできません。

唯一できるのは、悪魔を打ち負かす事のできる存在を想像し信じる事です。これが僕に心配がない理由です。僕は今ムスリムですが、ムスリムになる前から僕は悪魔を打ち負かす事のできる存在つまり「神」の実在を信じていました。そして今僕はその呼び名をアッラーと変え、信仰を更に厚くしています。

アラビア語で神を意味するアッラーは創造主つまり宇宙の全てを創造する存在の事です。そして全てがアッラーの創造物なら、全てにはアッラーのエッセンスつまり神性が含まれる事になります。これは悪魔についても同様です。想像しうる最悪の存在である悪魔に神性を与えられるのは創造主しかいません。

これがイスラムがアッラーのみを信じよと言う理由です。想像しうる最悪の存在である悪魔については、どんな神様も打ち負かしてしまうという「想像をする」事ができます。しかしその悪魔を含む全てを創造する存在を打ち負かす事はできません。色々な言われ方をするイスラムですが、要は頭がいいのです。

ムスリムがコーランをひたすら大事にするのは、創造主つまりアッラーから少しでも離れたくないという意識によります。それは悪魔の狡猾さをよく恐れるからに他なりません。気を抜いては悪魔に持っていかれる、そう考える彼らは日に五度はお祈りをし、断食をし、喜捨をして神との繋がりを思い出します。

1400年以上も前に伝えられた決まりを今も守ろうとするのは、神を絶対に見失いたくないからです。時代の変節による違和感を感じるムスリムももちろんいますが、彼らの多くは現世における欲を諦めて過去に伝えられた決まりに従います。全ては、悪魔のもたらす不幸から身を守るためです。

日本には、全てのものに神様が宿るという考えが存在します。日本に来たムスリムが、日本人はムスリムが行う事を自然に行うと驚くのは、これが理由と思われます。全ては神が創造した、全てに神が宿る、これは全く同じ事です。違いがあるとすればそれは、その神を何と呼ぶかだけの違いだけでしょう。

もう一つ違いがあるとすればそれは、悪魔の存在を認識するかどうかかと思います。日本人の多くは悪魔が存在するとは信じていません。それはきっと、私利を捨てた所に悪魔はつけいりようがない事を、そして日本の象徴である天皇がまさに私利を捨てた形でおられる事を僕達は知っているからだと思います。

多くの方が指摘するように、今の日本人には私欲を肯定する傾向が必要以上にあるように思います。ストレスが余りにも激しいためにそうなっているのでしょうが、必要以上の欲は必ず悪魔を引き寄せます。最近では、悪魔の仕業としか思えない出来事が増えているのを誰もが感じているはずです。

しかし、全ては神による創造であると選択した僕に、それらの出来事は問題とは映りません。それは、悪魔がついに所業を隠せなくなった事の証だと僕は認識します。ひどい出来事にはもちろん悲しみを抱きますが、今全員が神を信じそして問題の解決を祈るなら、今後悲劇は起き得ない事も知っています。

人間にとっての最大の問題は悪魔がもたらします。その悪魔の災いから逃れるには、欲を捨て続けるか神を信じるかの二つしかありません。僕は神を信じる事を選びました。神を信じる事ができたおかげで僕は悪魔を恐れない自分になる事ができました。つまりは心配のない、問題のない自分であり人生です。

それが善の存在であると知るなら、どのような神または対象を信仰しても僕は構わないと思います。その存在が善であるなら、必ずいつか創造主つまり悪魔を問題としない存在への信仰に導くからです。大事なのは信仰の度合いが高まる事です。神に見放されると信じていては、神の助けを得る事はできません。

全ては神の御業と信じる者にとって、問題は一切ありません。あるように見えるならそれは、神を信じない人たちによる化粧です。化粧が余りにも厚いと世の正体が天国であるとはとても思えないでしょうが、信仰が高まるつまり神の実在を信じる心が強まるにつれ、化粧に隠された素敵な世が見えてきます。

問題のない僕が唯一望みを持つとすれば、それは化粧に隠された素敵な世つまり天国に皆と一緒に行く事です。僕はその目的のためだけに、今この現世を生きています。Love  問題を脱ぎ捨てて、神の元で愛し合いましょう!
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by tenpapa2013 | 2014-06-17 22:43 | 世界平和

Twitterまとめ『お金と心』   

多くの人が、生きるためにはお金が必要だと信じます。しかし実際に必要なのはお金ではなく「モノ」であり、お金とはモノを得るための手段の一つでしかありません。お金があれば何でもできると考えるのも間違いです。お金はモノを得るための手段を制限するため、逆に何もできない自分になっていきます。

例えば、自分の家族を殺した相手にモノを売る店主はいないでしょう。本来なら、人が悪い心でいる時は生きるのが難しくなってしかるべきなのですが、お金がある事で人はそのような反省をせずに生きていく事ができます。逆に悪い心のお金持ちの方が、良い心の貧乏人より生きやすいのが今の世の中です。

お金は生活と心を分けてしまいます。心の働きに関わらず身体は生きていけてしまうという不思議な分裂症状をお金は引き起こします。まして現在の世は資本主義です。 心より資本の過多が生活の在り方に影響する、精神衛生上これほど悪い事はありません。さらに恐いのは誰もその事を疑わない事実です。

心の在り方が全てを決定づけるからこそ人生は楽しいのです。心に振り回されるからこそ、今を生きる気になれるのです。もしどんな心でも生きていけるとなったら、人は何を楽しみに生きればいいのですか?プログラム通りに生きる事の達成感ですか?そんな目的に満足できる程魂は単純ではありません。

いらないものを譲り受ける、お礼に頂く、交換するなど「モノ」を得るための手段は買う以外にもいくつも存在します。もし心の在り方が全てを決定づける事を認めるなら、今度は心の次元つまり常識を越えた形でモノが手に入るようになります。そうして人は心次第で何でも可能になる事実を学びます。

全てを可能にするのは、お金ではなく心です。お金はお金のある人しか幸せにしませんが、心にその制限はありません。お金は社会の中でしか通用しませんが、心は自然も含めた全ての事象に通用します。そしてお金は得るために働かなくてはなりませんが、心は意志次第でどのように変える事もできます。

それでもお金が欲しいと思う人は、お金は地球資源との引換券でしかないという事実をよく知って下さい。お金ならいくらあってもいいという人がいます。しかしそれは、自分は資源をいくら持ってもいいと言っているのと変わりません。もし全員がそれと同じ意識を持ったら、その先には戦争しかありません。

まず良い心であろうとする生き方をする事を勧めます。以前は人が良い心になるのを引き留める勢力が存在していましたが、今その勢力は力を失いました。どちらにしても、これから良心に目覚める人が加速度的に増えます。その引き金になるのはメディアの改心ですが、その片鱗が今あちこちに見られます。

お金より心を大事にするムーブメントに拍車をかけるために、そして本当は良い心なのに何かの理由で混乱してしまった人のために、このような情報を発信しています。この先そう遠くない未来にお金は今のような価値を全く失います。心の在り方が人生の全てを決定づける時がそこまで来ています。Love
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by tenpapa2013 | 2014-06-12 12:16 | 世界平和

Twitterまとめ『真実の嵐』   

放射能その他人間の抱える全ての問題を解決しうる技術が無事に公開され、世界を支配してきた権力層がまさかの降参を迫られている昨今、皆さんはいかがお過ごしですか?これらの事実はこれから信じられない程の恩恵を僕たちにもたらしますが、皆さんは、信じられないものを見る用意はできていますか?

これから僕たちが体験するのは光の洪水です。闇に遮られていた光が、本来あるべき姿で僕たちに降り注ぎます。全てを見たいと思う人には喜び溢れる体験です。その準備ができていない人たちにはちょっとした試練が訪れますが、全ての人が乗り越えられるよう準備が進められていますので心配いりません。

これから過去の不正の全てが公にされます。その不正の上に成り立つシステムは見直しを迫られます。少しの見直しで済むものや、嫌悪感から誰も近付かなくなるものもあります。人々には、不正から離れるか不正に生きるかの選択の機会が与えられますが、ここで不正を選んだ者には二度と会う事ができません。

何千年に一度の出来事が今起きようとしています。多くの方には信じられないと思いますが、暴力志向の意識が残るこの世界で地球を吹き飛ばすほどの技術が既に何十年も前に発見されています。何百年に一度の異常気象はもはや当たり前であり、何千という生物種が先を争って地球から姿を消しています。

これらの兆候は地球とそこに住む僕たちが大きな進化を遂げるその前触れです。この地球は長い間闇の者たちに占領されていました。その闇が終焉を迎えるにあたり、極みが現象として現れています。陰極まれば陽になる、夜明けの前が一番暗いといった現象があちらこちらで確認されています。

正しい事を主張すると生きる事が途端に難しくなるのはまさにそのためでした。正論という言葉が存在する事自体、世界が闇に牛耳られてきた事を物語っています。光のみが存在するこの世界に産まれた闇は、まさに分離の象徴であり、その闇についに光が当たる瞬間がそこまで迫っています。

もう嘘や不正に容易に近付く時ではありません。その結果、例え友人を、財を失う結果になったとしてもです。神つまり全てから分離する恐怖に耐えられる魂は存在しません。試練というのはこの事です。もし地獄があるのなら、それは神という存在の全てから見放された虚無の世界の事でしょう。


闇に光が当たるにつれ、そのものの本当の姿が現れます。この三次元世界に存在するものの殆どは本質の片側のみしか表現されないかりそめであり、その真実に皆が一斉に気が付く時がやってきます。そして愛とは、その両面を受け入れる行為であり、愛とその対象のみが次の世界に行く事ができます。

愛、神、全て、これらは同じものです。五次元とは、その全てと自らが同化する世界の事です。これから五次元という言葉を聞いた時は、分離にさよならする時が近付いたと思って下さい。「自分ではない」と思うものを愛し統べていく、五次元に向かう者はみなこのプロセスを踏む事になります。

まずは真実の嵐に備えて下さい。真実を知ってなおそのものを愛そうという決意を持つ時人は、空間に存在する全てを統合し始める事になります。一斉なる目覚めの時がそこまで近付いています。Love
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by tenpapa2013 | 2014-06-10 23:21 | 最後の審判