Asahara in LSD (1)   

1999年5月2日、当時住んでいた国での出来事だ。


アメリカに住んでいた友人のてっちゃん(故人)が僕のところに遊びにやってきた。

彼は僕のおねだりに応え、液体のLSDが入った小瓶を持ってきてくれた。

ある晩の事、てっちゃんが寝た後居間に一人残った僕は、たまには思い切りLSDでトリップしてみようと考えた。

一滴摂取すれば十分なのだが、少々欲張った僕は手の甲に濡らした相当な量のLSDを何も考えずに舐めてしまった。

舐めてしまってから自分のやった事が心配になってきた僕は、これから訪れるであろう大トリッピングにどのように臨むかを考えた。

今の量だと、30分後には目の前に神様がズラリと並ぶ事になる。

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# by tenpapa2013 | 2013-03-06 01:27

「なんとかなる」放射能問題解決のために   

量子力学が伝えるのは、簡単に言ってしまえば「観測するまでは、その物の正体はわからない」と言うことである。

アインシュタインが言った、「私が月を見ていないとき、月はそこにないのか」という言葉は有名である。

そして量子物理学者は、その質問にyes と答える。

量子力学では、観測という行為があって初めてその存在が実在すると考えるからだ。

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# by tenpapa2013 | 2012-03-30 18:45

俺の子育て(3)   

子供には、俺たちが思う以上の向上心が備わっている。

その向上心は、好きなことにしか発揮されないため、多くの大人たちがその凄さを見逃しがちだ。

しかし、それはあまりにももったいない話だ。

この向上心さえ刺激してやれば、子供はどんな存在にも育つのだ。


では、子の向上心を引き出すにはどうすればいいのか。

子供には、どんな子にも共通する大好きなものがある。

友達だ。

友達といつも一緒でありたいと思う彼らは、友達がやることの何にでも興味を持つ。

そして、一旦興味を持つと疑うことなくその興味に邁進する。

親にとって、子が友達と興味を共有することは、成長を喜ぶ反面、心配な側面もあるだろう。

それでも、子の興味の全てを親が与えることはできない。

子育てにおいて、友達の存在は不可欠である。

これは、この数カ月で強く学んだことだ。


結論から言うと、もし俺たち親が子の健全な成長を望むなら、まわりにいる子供たちにも一緒に向上してもらうしかないのだ。


おそらく、今の親たちのほとんどが、自分の子だけは良くなってほしいと、切に願っていることだろう。

その気持ちはわかるが、この考えには認識が一つかけおちている。

それは、子供同士の世界は、大人たちのそれよりバラバラでないということだ。

その証拠に、子供同士はすぐ仲良くなるが、大人同士はなかなかそうはいかない。

大人の場合は、何かに巻き込まれた時のリスクが大きいから、つまり信頼が育ちにくいのが原因だと思うが、しかし会わないからと言ってその人が街から消えたわけでは決してない。

逆に、できた溝は知らないうちにどんどん広がり、いつか大きな問題となって返ってくる可能性を孕む。

それを知ってか知らずか、子供たちは大人の作ったこの壁に風穴を開けてまわる。

それではまずいということに彼らの好奇心が反応するからだろうか。



子供たちの積極的に人と関わろうとする姿勢に、戸惑う親も多いだろう。

なかには、そういう行動は余計なこととして、子を非難する親もいるだろう。

気持ちはわかるが、社会の健全性を考えるなら、これは逆に歓迎すべき事だ。

実際、社会との関わり方については、子供たちの方がよくわかっているふしがある。

彼らは、毎日学校で社会生活について学んでいる。

親は子供のそういう行動を迷惑がるのではなく、自分たちの代わりに地域社会に関わってくれる事を喜ぶべきだろう。

要はアンテナだ。

細い路地の隅々から近所の人の人間関係まで、全てを見てまわる優秀なアンテナ、子供の行動をそう考えることで、地域社会における安心を少しは得ることができるのではないか。


子供は、夫婦間だけでなく、地域社会においてもかすがいになることができる。

この子供たちの性質を利用しない手はない。

なんて言ったって、俺たち大人は本当にそれが苦手なのだから。



最後に、ここまで書いて気付いたことだが、地域に真剣に関わるには、やはりそれなりの覚悟はいる。

子供たちは素直であっても、親御さんにはどんな人がいるかわからない。

よかれと思ってやった事がいつ非難されるかわからない、その事だけはいつも忘れないようにしている。


どうしてそこまでするのか、そう聞かれる時がある。

その答えは、将来の問題を防ぐためという事にやっぱりなるのだろう。

子供とは、可能性だ。

育て方しだいで、良くも悪くもなる。

良く育てればいいものが、悪く育てれば悪いものが返ってくる。

だから俺はよく育てたい。

それには、誰の子だということは関係ない。


「みんな一緒」


子供たちに教わった、最も大事な言葉だ。
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# by tenpapa2013 | 2012-03-24 14:01 | 子育て・教育

俺の子育て(2)   

この家には、来たい子を全員連れてくるように伝えている。

たまに、あいつは嫌だと他の子が言う時があるが、それでも来たい子は一応連れてこさせて様子を見る。

文句を言った子を逆に追い出すときもある。

そうやって様子を見ていると、子供というのは本当に順応性というものを備えている事がわかる。

うちにはルールがあり、それを子供たちが一生懸命守っている。

初めて来た家で、それを吹き飛ばしてしまおうという子はなかなかいないし、逆にみんなと同じようにやろうとする子がほとんどだ。

そして、一度素直になれば、さっきまで仲たがいしていた子たちもケロッとして一緒に遊ぶ。

一人だと、言い聞かせるのが難しいと思ったことも、大勢だとまわりの真似をして聞くようになる。

学校が、どのようにして子供たちをまとめているかがわかった気がした。


彼らの親御さんとの関係も大事なことの一つである。

うちに来たことを親に言っていない子もおそらくいるだろう。

そのような家があることを説明できないのが理由だと思うが、俺はこの家であったことはありのまま話していいといつも伝えている。

俺は、失業給付の出る来月までは家にいられる。

その間に出来るだけいろんな事を教えてしまおうと考えているが、親御さんにしてみれば、毎日フラフラしている者の家に子をやるのは、はっきり言って心配だろう。

それでもまだ苦情が来ないのは、子供たちにあからさまな悪影響が見えないからだと思う。

子供たちは、いい子にしていれば、いつもここで遊べることを知ってる。

そういう意識は、例えば外遊びをしていても必ず何かの行動になって現れる。

親御さんたちは、それを見て静観してくれているのではないかと、期待半分に思っている。


さて、ここまで来ると、自分が何をやりたいかということにさすがに気が付くようになった。

俺は、子供たちの力を借りながら、近所の人が仲良くなる手助けをしたいのだ。

うちは23区とはいえ、かなりの下町だ。

もう少し近所付き合いがあってもいいかと思うが、そこはご多分に漏れずみんなシャイで、なかなか挨拶以上の関係には発展しない。

そこで俺は、子供たちのお父さんに目をつけた。

お母さんたちと話すには、どうしても遠慮というものが入るが、お父さん同士で一杯やれば、大抵の話はできる。

この近所に、頼りにしているお父さんたちが5人いる。

みな、人の子も関係なく叱ってくれるお父さんたちだ。

いざという時は、このお父さんたちのところに行くようにと、いつも子供たちに話している。

そして、子供たちは喜んでその話に頷く。

きっと地域の大人たちに見守られているというのが、嬉しいからだろう。


さて、そんな事を繰り返すうちに、段々いい子になってきた彼らではあるが、そこはやんちゃ盛りの子供である。

いつも大人しくしている訳がない。

最近の俺は、子供たちによく怒鳴る。

他の子であっても関係ない。

怒鳴る激しさで、子供たちに訴える。

鬼のような迫力を演出し、目を見据えて怒鳴る。

最初はみんな泣いていたが、最近はこっちの本心に気付き出したようだ。

俺が怒鳴り出すと、みんなさっと姿勢を正してニコニコしながらこっちを見るようになった。

そして、もう気を付けようと誰かが言い出す。

テキパキ動き出した彼らを横目に、怒ったフリのまま自室に戻った俺は、彼らが一生懸命話し合っているのに聞き耳を立てながら、一人ほくそ笑んでいる。

(つづく)
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# by tenpapa2013 | 2012-03-24 14:00 | 子育て・教育

俺の子育て(1)   

うちには、よく近所の子が遊びに来る。

小学生の高学年から保育園児まで、まるで駄菓子屋に寄るかのような感覚でやってくる。

来るのは男の子が多く、部屋などすぐめちゃくちゃにされるのだが、それを叱っているうちにあることに気が付いた。

それは、一人を叱るのと大勢を叱るのでは、彼らの受け止め方が全く違うということだ。


一人だけを叱ると落ち込むが、大勢を叱るとみんなで何とかしようとする。

うちは嫁が不在がちのため、どうしても息子に甘くなってしまっていたが、みんなと一緒に叱るなら、息子もそれほど傷つかずに済む。

これは面白い、そう思った僕は、それから積極的に子供たちを受け入れるようになった。


まずは、ルールを作るところから始めた。

と言っても、やってくる子の多くは小学校低学年、難しいことを言ってもわかるはずがないので、できるだけ簡単なものをと思い、次の二つのルールをまず守らせることにした。

・うるさくしない
・喧嘩をしない

これはうちの憲法みたいなもので、これを破ると即退場になる。

退場になる子に反省してから来いと言うと、ちゃんとどこかで時間をつぶしてから、もうしませんと帰ってくる。

コツは、ニコニコ追い出すことだろう。

怒って追い出すと、売り言葉に買い言葉で彼らの反省の機会を逃してしまう可能性がある。

ニコニコ追い出すと、感情ではなくルールを守るためにそうなったのだということを理解しやすくなる。

ちなみに、この二つのルールには一応順序がある。

仲良くする方が大事かと思うが、実は静かにする方が先だ。

仲良くなくても、静かにさえしててくれれば、こっちは気にならずに済む。

それに、仲たがいをすると必ずうるさくなるので、結局は仲良くせざるを得ない。

うまいルールが見つかったと思った。


もう一つ、これは明文化はしていないのだが、徐々に彼らに染み込みつつあるルールがある。

連帯責任だ。

こういうことがあった。

彼らの仲間に悪さばかりする子がいる。

あまりにも親を泣かせるため外出禁止になったが、それでも平気な顔をしてやってくる。

今日は家の人がいいと言ったというので家に入れると、後から彼の親が来て、そんな事言った覚えはない。二度と入れないで欲しいと言われる。

そういう時、僕は彼だけでなく全員を追い出すようにしている。

一人だけ追い出す気か、みんな行ってやれ、そういうと、ぶつぶつ言いながらもみんな出て行く。

でもそこは子供だ。一旦外に出てしまえば、すぐに元気な声が聞こえてくる。


そんなことを繰り返していたら、子供たちに変化が起き出した。

子供たちが、その子に注意をするようになったのだ。


「おい、お前今日は家の人に言ってきたのか?」


「宿題やったのか?」


こいつのためにいちいち追い出されてはかなわんと思ったのだろうが、それでも子供同士が友達をちゃんとさせようとする姿は非常に微笑ましい。

これには、その子の親御さんも驚いたようだった。


(つづく)
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# by tenpapa2013 | 2012-03-24 13:58 | 子育て・教育