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誰も悲しまない世の中をめざして。ぽつぽつ書いていきます。


by ぱぱちゃん
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子供-KODOMO

ある晩、息子が急に友達の家に行きたいと言い出した。

友達のお父さんと僕は飲み友達なので、夜訪ねるのは特にタブーではないのだが、僕はその日は一日子供の相手をして疲れていた。


「ねえ行こうよ~」


「今日は家でゆっくりしよう」


「行こうよ~」


渋々腰を上げると、今度息子は自転車で行こうと言い出した。

彼らの家は歩いて3分位の距離だ。


「自転車で行こう」


「すぐそこだから歩きでいいよ」


「自転車!」


またも渋々自転車を出すことになった。



外へ出ると雨が降り始めていた。


「雨降ってきたよ。やっぱ帰ろう」


「なんで~行こうよ」


「雨だもん。濡れちゃうよ」


「放射能だから?」


「いや、放射能ってわけじゃないけど..」


「ねえパパ、子供って放射能あたってなくね?」


「ん?」


息子が放った言葉に一瞬言葉を失った。

続けて息子が言った。


「(けらけら笑いながら)もしかして大人と一緒の時だけあたってね?」


以前から何度か日記やつぶやきに書いているが、放射能問題とは核分裂により放出させられた放射線による障害、つまり量子的な問題である。

そして量子は、観測のたびに結果が変わるなど、いまだ正体不明の存在とされている。

アインシュタインが「私が月を見ていないとき、そこに月はないというのか」と聞いた話は有名だ。

そして量子学はその通りと答える。

量子の実在は、観測という行為があって初めて実証されるからだ。


先の息子の言葉は、この量子論による量子の本質を彷彿とさせた。

全然平気だよ、この雨が悪いなんてちっとも思わないよ、キラキラした目と屈託のない笑顔でそう言われると、本当にそうでないのかと思えてくる。

まして問題になっているのは安定化した原子や分子のレベルではない。

観測行為が結果に影響を与えると言われる不安定な量子のレベルでの話なのだ。

量子的見地においては、大人と一緒の時だけつまり大人の心配がそれを呼び寄せてないかという彼の問いかけも、実に真実味を帯びてくる。



雨が降り始めた中、自転車を走らせようとすると、近くから盆踊りの音が聞こえてきた。


「パパ、お祭りだ!行こうよ!」


「お友達の所に行くんじゃないの?」


「いいよ!先にお祭り行こ!」


息子の言葉に慌てながらもまだ外出を面倒がっていた僕は、またも渋々盆踊りの会場へ自転車を向かわせた。

会場に着くと、今訪ねる予定だった家のお父さんが慌てて飛び出してきた。

彼は車椅子なので傘が差せない。

濡れる前に家に戻ろうと大慌てで出てきたのだ。


「あっ小林さん、丁度良かった!後ろつかまらせて!」


そうして息子を荷台に立ち乗りさせ、荷台に摑まる車椅子のお父さんを引っ張りながら大急ぎで彼の家に戻った。


「いや~助かったよ!おかげで濡れずに済んだよ」


彼はとても感謝してくれたが、僕は少し不機嫌だった。

彼の家へ行くと言った事、自転車で行こうとだだをこねた事、そして先にお祭りに行こうと言った事、全て息子が正しかったからだ。

それでも気持ちを入れ換え、その全てに面倒くさがった自分を恥じながら車椅子のお父さんに訳を話すと、相変わらずものすごい勘だねと笑ってくれた。

そして振り返って息子を見ると、もういつものように「全力で」友達と遊んでいた。


(2011年8月1日の日記)
by tenpapa2013 | 2013-04-30 12:02 | Comments(0)