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「信長公の墓参り」   

昨日、織田信長公の墓参りに行ってきました。
 
桜井識子さんという方の本を読んだことがきっかけです。
 
識子さんは、以前信長公の墓参りに行った際、信長公が彼に恨みを持つ霊たちにしがみつかれて、いまだに地獄の手前でもがいている様子を見たそうです。
 
信長公は、戦国時代の日本をまとめあげた偉人として知られています。
 
同時に、そのやり方が常人の理解を越えていたことでもよく知られています。
 
誰にも収拾の予測がつかなかった戦乱の世において、信長公がその後の太平の世のきっかけとなったことは間違いのない事実です。
 
しかし、その常軌を逸したやり方により命を奪われた者たちが、彼に強い恨みを抱いたとしても全く不思議はありません。
 
 
この話を聞いてから私は、いつか信長公の墓参りに行かねばと思っていました。
 
信長公にしがみつく霊たちに伝えたいことがあったからです。
 
彼らの体験した悲劇は想像を絶するものであり、そのような彼らを癒すことなど私にできるはずがありません。
 
ただ、その悲劇のおかげで日本は太平の世を、そして現代まで続く平和を手に入れたのです。
 
同じ国の子孫として、これだけは伝えなくてはとずっと思っていました。
 
特に私の住む岐阜市では、信長公の岐阜城入城450年記念というイベントが昨年まで行われていました。
 
その間、街のあちこちで信長公をPRに使った催しが行われていましたが、当の本人が地獄の瀬戸際で苦しんでいるかもしれないことを思うと、違和感がどうしても拭えませんでした。
 
しかし、行きたい気持ちと裏腹になぜか身体は動かず、そのまま月日だけが流れていました。
 
 
おとといの8月15日の午後、私に異変が起きました。
 
急に、子供たちを死なせるにはどうすればよいかという考えが頭に浮かんだのです。
 
そんなことはもちろん今まで考えたことがなく、何か変だなと思った私は外出中の妻に何かが取り憑いたかもしれないというメールをすぐに送りました。
 
妻はすぐに帰宅しましたが、先日改めて愛を確認したばかりの妻に私はこれ以上ないほどの罵詈雑言を浴びせ、長男にも怒鳴り散らしたあげく外に飛び出しました。
 
そして、興奮の収まらない私は大阪に向かいました。
 
大阪に行って友人たちを訪ねた後、京都で信長公の墓参りをしようと思ったのです。
 
大阪では、憑き物を落とすには水がよいだろうと思いサウナに泊まりました。
 
しかし、いくら風呂に浸かっても高ぶった気持ちが冷めることはなく、全く眠ることもできません。
 
結局、サウナのパソコンで妻に短い侘びのメールを送ったあとは、「闇金ウシジマくん」という漫画を読んで朝まで過ごしました。
 
この漫画を読んでさわやかな気分になどとてもなれるはずがなく、前日と同じ気分のまま一睡もせずにサウナを出ました。
 
 
大阪の友人には会えなかったので、そのまま京都に向かいました。
 
信長公の墓は、阿弥陀寺という寺にあります。
 
鞍馬口という駅で降り寺町を歩いていると雑貨屋がありました。
 
花はともかく線香だけはと思っていたので、そこで一番上等な線香を買い店を出ました。
 
歩き出してからふと、お清めの塩を買い忘れたことに気が付きました。
 
実は私は、これから話をする方たちが恨みに凝り固まったいわゆる亡霊のような方たちということに少し緊張をしていました。
 
彼らに取り憑かれないために塩は必須であることを思い出し、再び店に引き返しました。
 
店のおばさんは、大量のお清め塩を快く分けてくださいました。
 
 
その後、寺の近くの自動販売機でお茶を買っている時に、突然ある考えが頭に浮かびました。
 
それは昨晩サウナで読んだウシジマくんという漫画についてです。
 
この漫画にはウシジマくんという闇金屋の主人公と、彼からお金を借りてしまったためにとことん追い込まれる債務者たちが登場します。
 
その追い込まれぶりが、人間の尊厳を破滅させるに十分すぎるものだということは、この漫画を読んだことのある方は知っている思います。
 
この時私は、信長公に恨みを持つ霊たちとウシジマくんの追い込みにあった債務者たちが似ているように思えました。
 
悲惨な体験もそうですが、その体験をさせられた相手が強靭な信念の元にそれを行ったという点においてもです。
 
このウシジマくんという漫画に人気があるのは、非道を行う主人公の深いところにただ悪いとは言えない何かがあることを読者が感じるからだと思います。
 
これは信長公についても同じです。
 
この考えが浮かんだとき時、墓で語りかけるときには、信長公に恨みを持つ者だけでなくこの漫画に出てくるような酷い体験を忘れることのできない全部の霊たちを思い出して話すといいように思えました。
 
そのためには、江戸という太平の世を迎えたことだけでなく、私が常々話している「これから訪れる宇宙規模の平和」というものについても話す必要があると思いました。
 
そう思った私は、墓の前で何を話すかを再度頭の中でシュミレーションし、その後寺へ向かいました。
 
 
阿弥陀寺に入ると、一体の石仏が目の前に立っていました。
 
その石仏に、今日は信長公の墓参りに来たことを伝え、本堂でご挨拶をしてお墓に向かいました。
 
信長公のお墓は、少し大きめではあるけど普通の人が入るのとほとんど変わらないお墓でした。
 
お墓について荷物を降ろした私は、まず荷物に塩を振り掛けました。
 
知らないうちに、霊が荷物に入ることだけは避けたいと思ったからです。
 
そうして線香に火をつけ、八つほど並んでいる線香立ての全部に少しづつ線香をさしました。
 
そしてお茶のふたを開けて墓前に置き、手を合わせて次のように語り掛けました。
 
 
「私は岐阜からやってきた小林伸久というものです。
 
今日は、信長公と信長公を掴んで離さぬ霊の方たちにどうしてもお伝えしたいことがありここへ参りました。
 
まず、皆さんの体験された悲劇は、それは計り知れないものであったと思います。
 
もし私の身に同じことが起きたら、正気を保つことなどきっとできないでしょう。
 
ただ、皆様方のその悲劇があったおかげで日本は太平の世を迎えることができたのです。
 
皆様方が大変な想いをしてくださったおかげで、もう酷いことはやめようという気にみながなれたのです。
 
その後日本は、世界でも稀にみる長きに渡る太平の世を手に入れることができたのです。
 
それでも世界には本当に悪い者たちがいて、彼らは徳川太平の世の後日本にやってきて、この国の精神をことごとく破壊しました。
 
しかし、わずかな者たちがその精神を引き継ぎ、その者たちによる建て直しが今まさに行われようとしています。
 
このようなかすかな希望が残ったのも、皆様方が悲劇を体験する役目を負ってくださったから、そのおかげで後の太平の世に日本の心がしっかりと育ったからにほかなりません。
 
このことだけを伝えたくて、今日私はここへ参りました。
 
私には、皆様方にどうしろというようなことはもちろんできません。
 
ただもし願わせてもらえるのであれば、何卒その恨みの手をお緩め頂き、これから迎える真の太平の世においてぜひ皆様方とお会いしたいと思っております。
 
もちろんその願いが叶わなくても構いません。
 
私は子孫を代表して、皆様方の悲劇がその後の太平の世にいかに必要であったことだけを伝えます。
 
本当にありがとうございます」
 
 
このような内容のことを時間をかけて話しました。
 
話の途中線香を何度か足し、感極まったあげく泣きながら土下座するような場面もありました。
 
その後気が済んだので帰ろうとすると、そのお茶を持っていけと誰かに優しく言われた感じがしました。
 
私は、亡霊の方たちが口をつけたかもしれないお茶はいやだなあと思っていたのですが、その感じがとても優しかったので持って帰ることにしました。
 
寺を出た私は、昨日からの嫌な感じが全くなくなっていることに気が付きました。
 
また、その夜は偶然にも京都五山の送り火が行われる日だということを知りました。
 
少しでも、いや願わくば全部の霊たちが送り火とともに冥府へ戻られることを祈りながら家路につきました。
 
帰る途中に頂いたお茶を飲みました。
 
とても優しい味がしました。
 
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by tenpapa2013 | 2018-08-17 23:35 | 精神世界