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Dear Malaysia

This is the letter written when I and my family were traveling Malaysia.

これは、僕と僕の家族がマレーシアを旅した時に書いた手紙です。

I wrote it by English and my precious brother Kimi has translated.

まず僕が英語で書き、それを僕の大切な兄弟のキミさんがマレー語に翻訳しました。

I believe Malaysia is the one of hope of the world.

僕は、マレーシアは世界の希望の一つだと思っています。

It is because Malaysia is doing the practice the most important matter for the world that coexistence of different races peacefully.

それは、マレーシアという国が世界にとって最も重要な課題である多民族の平和な共存を実践しているからです。

Of course I know there has many problem of it, but there is still peace if compare with other country.

もちろん、マレーシアにも多くの問題があることは知っていますが、それでももし他の国と比べるならマレーシアはよくやっています。

I believe all of other country have to encourage Malaysian to proud about what they are doing.

僕は、マレーシア以外の国はマレーシアがやっていることを励ましてあげるべきだと思っています。

Malaysia is the future role model if we hope to be peace world.

マレーシアは将来のお手本です。もし僕たちが平和な世の中を望むなら。

Assalamu alaikum

世界のみんなが平安でありますように

**************

Dear Malaysia


Nama saya Nobu.

Saya berbangsa Jepun dan berusia 48 tahun.

Saya bekerja sebagai pemandu teksi di bandaraya Tokyo.

Dua tahun lepas saya bertemu Arisa dan sekarang dia isteri saya.

Kami tinggal di sebuah pekan bernama Gujo yang merupakan tempat kelahiran Arisa.

Gujo adalah sebuah penempatan yang dikelilingi keindahan alam semulajadi dan bersalji.

Gujo terkenal dengan keindahan dan kebersihan airnya, kita boleh menikmati air dari gunung dan boleh diminum di mana-mana sahaja.

Saya faham, orang lebih berminat dengan bandaraya yang besar seperti Tokyo tetapi anda akan teruja dengan kebudayaan tradisional Jepun di Gujo.

Lanya adalah sebuah tempat yang kami cadangkan dan perlu anda lawati suatu hari nanti.

Sekarang kami mempunyai empat orang anak lelaki, anak sulung kami bernama Tenkyu berusia 9 tahun, anak kedua Makoto 6 tahun, yang ketiga bernama Riku 4 tahun dan bayi kecil bernama Momotaro.

Tenkyu adalah hasil perkahwinan bersama isteri saya terdahulu, Makoto dan Riku adalah anak-anak perkahwinan Arisa yang terdahulu.

Mereka membesar bagaikan saudara kandung sendiri.

Saya amat berbangga dengan mereka.

Kami adalah keluarga yang bahagia dan tinggal di tempat yang sangat cantik tetapi hati saya tidak merasa tenteram bila melihat banyak permasalahan di kalangan masyarakat orang-orang Jepun.

Sepertimana di Malaysia, bila saya mengucapkan “hello” kepada seseorang pastinya mereka akan menjawab dengan ucapan yang sama dan mesra meskipun mereka tidak mengenali siapa saya, tetapi di Jepun jauh berbeza.

Bila saya mengucapkan “hello” kepada orang yang saya tidak kenali, saya dianggap pelik dengan ucapan itu.

Masyarakat Malaysia secara semulajadinya amat terkenal dengan ikatan persahabatannya berbeza dengan orang-orang Jepun pada kebelakangan ini agak sukar untuk menunjukkan nilai-nilai persahabatan dan kemesraan seperti ini.

Walaupun masyarakat Malaysia terdiri dari berbagai kaum tetapi mereka amat mementingkan persahabatan.

Hakikatnya persahabatan lebih penting dari ekonomi.

Persahabatan boleh menciptakan wang tetapi kewangan tidak dapat mewujudkan persahabatan.

Padahal banyak negara termasuklah Jepun percaya ekonomi itu perlu diutamakan.

Di Jepun lebih dari 30000 orang membunuh diri setiap tahun.

Terbukti Jepun bukanlah sebuah masyarakat yang bijak walaupun di sana banyak terdapat perkhidmatan dan teknologi baru.

Pada suatu masa dulu, Perdana Menteri Tun Mahathir pernah berkata masyarakat Malaysia perlu pandang ke timur belajar dengan cara orang Jepun tetapi pada hari ini, orang-orang Jepun perlu belajar dengan anda semua bagaimana sifat-sifat kemanusiaan yang sepatutnya.

Saya selalu mengingatkan orang-orang Jepun betapa pentingya nilai sesuatu persahabatan tetapi kebanyakan dari mereka tidak mengendahkannya.

Maka ia membuatkan kita berasa sukar untuk terus tinggal di sana.

Inilah yang membuatkan kami meninggalkan Jepun.

Pada abad yang lalu kita mempunyai banyak sumber dan membuatkan kita dapat mengikuti arus ekonomi dan kehidupan kita menjadi lebih mudah, tetapi pada abad ini kita tidak lagi mempunyai banyak sumber seperti dahulu, jadi kita perlulah berkongsi dan untuk mewujudkan perkongsian bijak ini kita memerlukan ikatan persahabatan.

Oleh itu saya yakin Malaysia mempunyai kelebihannya tersendiri di abad yang baru ini.

Jika Malaysia mempunyai kepimpinan di peringkat dunia, maka dunia tidak perlu memilih untuk berperang.

Inilah satu-satunya jalan menuju ke arah kedamaian sejagat.

Dua bulan yang lalu kami kehilangan kesemua wang kami, namun sehingga sekarang kami masih boleh bertahan meneruskan kehidupan bersama seorang bayi yang kecil dengan sempurna.

Lanya sesuatu yang mustahil akan berlaku di tempat saya.

Saya berharap anda tahu betapa bertuahnya negara anda ini dan berbanggalah dengannya.

La tidak akan berlaku sekiranya orang percaya perasaan itu tidak penting.

Kami sangat terhutang budi dengan masyarakat Langkawi.


Terima kasih banyak-banyak

Dari Nobu, Arisa, Tenkyu, Makoto, Riku dan Momotaro

by tenpapa2013 | 2018-08-20 18:11 | 世界平和 | Comments(0)

「男と女」(3)

では、どのようにすれば私たちは高い精神を発揮し続けることができるのでしょうか。
 
そのためには、まず精神の土台となる自分の心を曇りのない状態にすることが必要です。
 
精神とは、多様化したものそれぞれに意味を持たせて一つにまとめ上げる作用のことだと話しました。
 
男女の例でいえば、女性が自分の心変わりに安心できるよう、彼女を包み込む男性に起きている作用のことと言えます。
 


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by tenpapa2013 | 2018-08-20 02:48 | | Comments(0)

「男と女」(2)

では男と女は、この3次元と4次元にどのような違いを持って存在しているでしょう。
 
まず身体(3次元)から。
 
女性には卵巣があってそして子宮があります。
 
男性には、卵巣にあたる精巣はありますが子宮にあたるものはありません。
 
なぜなら、女性には子供をこの肉体の次元(3次元)に産み出す役目があるからです。
 
このことは、身体(3次元)のレベルにおいては、女性の方が完成されていることを意味しています。
 
 



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by tenpapa2013 | 2018-08-20 02:44 | | Comments(0)

「男と女」(1)

「男と女」(1)
 
日本には、イザナギとイザナミという男女神が世界を作ったという神話があります。
 
スピリチュアル系の世界においても、男女が宇宙の基礎だという考え方はかなり一般的であります。
 
有名な「鶏と卵どちらが先か」という問いも、まず男女が先ではなかったかという話が最近聞こえ始めています。
 



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by tenpapa2013 | 2018-08-20 02:33 | | Comments(0)

「信長公の墓参り」

昨日、織田信長公の墓参りに行ってきました。
 
桜井識子さんという方の本を読んだことがきっかけです。
 
識子さんは、以前信長公の墓参りに行った際、信長公が彼に恨みを持つ霊たちにしがみつかれて、いまだに地獄の手前でもがいている様子を見たそうです。
 
信長公は、戦国時代の日本をまとめあげた偉人として知られています。
 
同時に、そのやり方が常人の理解を越えていたことでもよく知られています。
 
誰にも収拾の予測がつかなかった戦乱の世において、信長公がその後の太平の世のきっかけとなったことは間違いのない事実です。
 
しかし、その常軌を逸したやり方により命を奪われた者たちが、彼に強い恨みを抱いたとしても全く不思議はありません。
 
 
この話を聞いてから私は、いつか信長公の墓参りに行かねばと思っていました。
 
信長公にしがみつく霊たちに伝えたいことがあったからです。
 
彼らの体験した悲劇は想像を絶するものであり、そのような彼らを癒すことなど私にできるはずがありません。
 
ただ、その悲劇のおかげで日本は太平の世を、そして現代まで続く平和を手に入れたのです。
 
同じ国の子孫として、これだけは伝えなくてはとずっと思っていました。
 
特に私の住む岐阜市では、信長公の岐阜城入城450年記念というイベントが昨年まで行われていました。
 
その間、街のあちこちで信長公をPRに使った催しが行われていましたが、当の本人が地獄の瀬戸際で苦しんでいるかもしれないことを思うと、違和感がどうしても拭えませんでした。
 
しかし、行きたい気持ちと裏腹になぜか身体は動かず、そのまま月日だけが流れていました。
 
 
おとといの8月15日の午後、私に異変が起きました。
 
急に、子供たちを死なせるにはどうすればよいかという考えが頭に浮かんだのです。
 
そんなことはもちろん今まで考えたことがなく、何か変だなと思った私は外出中の妻に何かが取り憑いたかもしれないというメールをすぐに送りました。
 
妻はすぐに帰宅しましたが、先日改めて愛を確認したばかりの妻に私はこれ以上ないほどの罵詈雑言を浴びせ、長男にも怒鳴り散らしたあげく外に飛び出しました。
 
そして、興奮の収まらない私は大阪に向かいました。
 
大阪に行って友人たちを訪ねた後、京都で信長公の墓参りをしようと思ったのです。
 
大阪では、憑き物を落とすには水がよいだろうと思いサウナに泊まりました。
 
しかし、いくら風呂に浸かっても高ぶった気持ちが冷めることはなく、全く眠ることもできません。
 
結局、サウナのパソコンで妻に短い侘びのメールを送ったあとは、「闇金ウシジマくん」という漫画を読んで朝まで過ごしました。
 
この漫画を読んでさわやかな気分になどとてもなれるはずがなく、前日と同じ気分のまま一睡もせずにサウナを出ました。
 
 
大阪の友人には会えなかったので、そのまま京都に向かいました。
 
信長公の墓は、阿弥陀寺という寺にあります。
 
鞍馬口という駅で降り寺町を歩いていると雑貨屋がありました。
 
花はともかく線香だけはと思っていたので、そこで一番上等な線香を買い店を出ました。
 
歩き出してからふと、お清めの塩を買い忘れたことに気が付きました。
 
実は私は、これから話をする方たちが恨みに凝り固まったいわゆる亡霊のような方たちということに少し緊張をしていました。
 
彼らに取り憑かれないために塩は必須であることを思い出し、再び店に引き返しました。
 
店のおばさんは、大量のお清め塩を快く分けてくださいました。
 
 
その後、寺の近くの自動販売機でお茶を買っている時に、突然ある考えが頭に浮かびました。
 
それは昨晩サウナで読んだウシジマくんという漫画についてです。
 
この漫画にはウシジマくんという闇金屋の主人公と、彼からお金を借りてしまったためにとことん追い込まれる債務者たちが登場します。
 
その追い込まれぶりが、人間の尊厳を破滅させるに十分すぎるものだということは、この漫画を読んだことのある方は知っている思います。
 
この時私は、信長公に恨みを持つ霊たちとウシジマくんの追い込みにあった債務者たちが似ているように思えました。
 
悲惨な体験もそうですが、その体験をさせられた相手が強靭な信念の元にそれを行ったという点においてもです。
 
このウシジマくんという漫画に人気があるのは、非道を行う主人公の深いところにただ悪いとは言えない何かがあることを読者が感じるからだと思います。
 
これは信長公についても同じです。
 
この考えが浮かんだとき時、墓で語りかけるときには、信長公に恨みを持つ者だけでなくこの漫画に出てくるような酷い体験を忘れることのできない全部の霊たちを思い出して話すといいように思えました。
 
そのためには、江戸という太平の世を迎えたことだけでなく、私が常々話している「これから訪れる宇宙規模の平和」というものについても話す必要があると思いました。
 
そう思った私は、墓の前で何を話すかを再度頭の中でシュミレーションし、その後寺へ向かいました。
 
 
阿弥陀寺に入ると、一体の石仏が目の前に立っていました。
 
その石仏に、今日は信長公の墓参りに来たことを伝え、本堂でご挨拶をしてお墓に向かいました。
 
信長公のお墓は、少し大きめではあるけど普通の人が入るのとほとんど変わらないお墓でした。
 
お墓について荷物を降ろした私は、まず荷物に塩を振り掛けました。
 
知らないうちに、霊が荷物に入ることだけは避けたいと思ったからです。
 
そうして線香に火をつけ、八つほど並んでいる線香立ての全部に少しづつ線香をさしました。
 
そしてお茶のふたを開けて墓前に置き、手を合わせて次のように語り掛けました。
 
 
「私は岐阜からやってきた小林伸久というものです。
 
今日は、信長公と信長公を掴んで離さぬ霊の方たちにどうしてもお伝えしたいことがありここへ参りました。
 
まず、皆さんの体験された悲劇は、それは計り知れないものであったと思います。
 
もし私の身に同じことが起きたら、正気を保つことなどきっとできないでしょう。
 
ただ、皆様方のその悲劇があったおかげで日本は太平の世を迎えることができたのです。
 
皆様方が大変な想いをしてくださったおかげで、もう酷いことはやめようという気にみながなれたのです。
 
その後日本は、世界でも稀にみる長きに渡る太平の世を手に入れることができたのです。
 
それでも世界には本当に悪い者たちがいて、彼らは徳川太平の世の後日本にやってきて、この国の精神をことごとく破壊しました。
 
しかし、わずかな者たちがその精神を引き継ぎ、その者たちによる建て直しが今まさに行われようとしています。
 
このようなかすかな希望が残ったのも、皆様方が悲劇を体験する役目を負ってくださったから、そのおかげで後の太平の世に日本の心がしっかりと育ったからにほかなりません。
 
このことだけを伝えたくて、今日私はここへ参りました。
 
私には、皆様方にどうしろというようなことはもちろんできません。
 
ただもし願わせてもらえるのであれば、何卒その恨みの手をお緩め頂き、これから迎える真の太平の世においてぜひ皆様方とお会いしたいと思っております。
 
もちろんその願いが叶わなくても構いません。
 
私は子孫を代表して、皆様方の悲劇がその後の太平の世にいかに必要であったことだけを伝えます。
 
本当にありがとうございます」
 
 
このような内容のことを時間をかけて話しました。
 
話の途中線香を何度か足し、感極まったあげく泣きながら土下座するような場面もありました。
 
その後気が済んだので帰ろうとすると、そのお茶を持っていけと誰かに優しく言われた感じがしました。
 
私は、亡霊の方たちが口をつけたかもしれないお茶はいやだなあと思っていたのですが、その感じがとても優しかったので持って帰ることにしました。
 
寺を出た私は、昨日からの嫌な感じが全くなくなっていることに気が付きました。
 
また、その夜は偶然にも京都五山の送り火が行われる日だということを知りました。
 
少しでも、いや願わくば全部の霊たちが送り火とともに冥府へ戻られることを祈りながら家路につきました。
 
帰る途中に頂いたお茶を飲みました。
 
とても優しい味がしました。
 
by tenpapa2013 | 2018-08-17 23:35 | 精神世界 | Comments(0)