人気ブログランキング |

誰も悲しまない世の中をめざして。ぽつぽつ書いていきます。


by ぱぱちゃん
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

<   2019年 07月 ( 5 )   > この月の画像一覧

Please tell the Japanese around you for a vote for "Reiwa Shinsengumi"
まわりの日本人に「れいわ新選組」への投票を呼びかけてください。
 
 
Taro Yamamoto is a courageous person who directly appealed to Emperor of the distress of the people of Fukushima.
山本太郎は、福島の人たちの窮状を天皇陛下に直訴してくれた勇気ある人です。
 
He has set up a party called "Reiwa Shinsengumi" and is about to have a voting day three days later.
その彼が、「れいわ新選組」という政党を立ち上げ、3日後の参議院選挙に臨もうとしています。
 
He is a person wishing everyone's happiness.
彼は、全員の幸せを願う人です。
 
He is a person who does not leave people in need or crying.
困っている人や泣いている人を放っておかない人です。
 
Some of foreigners have some disappointing experiences with the Japanese government's merciless response.
外国の人の中には、日本政府の無慈悲な対応にがっかりした体験をお持ちの方がいるでしょう。
 
However, after the inspection, he improved that the air conditioners to be operated 24 hours a day in Shinagawa and Ushiku Immigration Center.
彼は視察の後、品川そして牛久入管の収容所のエアコンを24時間動かすよう改善させました。

He is also actively seeking improvements to Immigration centers, such as the case of the showers that only have cold water in the morning, and the prioritize medical practices for the sick inmates.
午前中は水しか出ないシャワーや、病人の収容者に対する医療についても、積極的に改善を求めています。
 
His promise ”the abolition of the consumption tax", it may not be a pleasure for foreigners who rely on consumption tax rebates.
彼の公約である「消費税の廃止」、この公約は、消費税還付に頼る外国人経営者には、嬉しいものではないかもしれません。

Certainly, it may be so if we consider only the rebates of the tax, but Taro Yamamoto's aim is "Revival of Japanese kindness" that may bring even greater benefits.
確かに、消費税の還付だけを考えればそうかもしれませんが、山本太郎が目指すのは「やさしい日本の復活」です。
 
The kindness of this country that would have been felt once by foreigners perhaps - Taro Yamamoto and his companions will surely guide us to become Japan full of that kindness.
外国人の誰もが、一度は感じてくれたであろうこの国のやさしさ - 山本太郎と彼の仲間たちは、そのやさしさ溢れる日本になるようこの国を導こうとしています。

For your loved ones and families, don't you think it would be desirable for someone who is like him become to the administration of this country?
愛する家族や同胞のためには、そのような考えの者がこの国の政権につくことが望ましいとは思いませんか?

If you agree, please tell Japanese around you to support "Reiwa Shinsengumi" and "Taro Yamamoto".
もし同意される方がいましたら、ぜひまわりにいる日本人に「れいわ新選組」と「山本太郎」を応援するよう伝えてください。

Thank you
どうぞよろしくお願いします。



by tenpapa2013 | 2019-07-20 22:00 | Comments(0)
放射能その他人間の抱える全ての問題を解決しうる技術が無事に公開され、世界を支配してきた権力層がまさかの降参を迫られている昨今、皆さんはいかがお過ごしですか?これらの事実はこれから信じられない程の恩恵を僕たちにもたらしますが、皆さんは、信じられないものを見る用意はできていますか?

これから僕たちが体験するのは光の洪水です。闇に遮られていた光が、本来あるべき姿で僕たちに降り注ぎます。全てを見たいと思う人には喜び溢れる体験です。その準備ができていない人たちにはちょっとした試練が訪れますが、全ての人が乗り越えられるよう準備が進められていますので心配いりません。

これから過去の不正の全てが公にされます。その不正の上に成り立つシステムは見直しを迫られます。少しの見直しで済むものや、嫌悪感から誰も近付かなくなるものもあります。人々には、不正から離れるか不正に生きるかの選択の機会が与えられますが、ここで不正を選んだ者には二度と会う事ができません。

何千年に一度の出来事が今起きようとしています。多くの方には信じられないと思いますが、暴力志向の意識が残るこの世界で地球を吹き飛ばすほどの技術が既に何十年も前に発見されています。何百年に一度の異常気象はもはや当たり前であり、何千という生物種が先を争って地球から姿を消しています。

これらの兆候は地球とそこに住む僕たちが大きな進化を遂げるその前触れです。この地球は長い間闇の者たちに占領されていました。その闇が終焉を迎えるにあたり、極みが現象として現れています。陰極まれば陽になる、夜明けの前が一番暗いといった現象があちらこちらで確認されています。

正しい事を主張すると生きる事が途端に難しくなるのはまさにそのためでした。正論という言葉が存在する事自体、世界が闇に牛耳られてきた事を物語っています。光のみが存在するこの世界に産まれた闇は、まさに分離の象徴であり、その闇についに光が当たる瞬間がそこまで迫っています。

もう嘘や不正に容易に近付く時ではありません。その結果、例え友人を、財を失う結果になったとしてもです。神つまり全てから分離する恐怖に耐えられる魂は存在しません。試練というのはこの事です。もし地獄があるのなら、それは神という存在の全てから見放された虚無の世界の事でしょう。


闇に光が当たるにつれ、そのものの本当の姿が現れます。この三次元世界に存在するものの殆どは本質の片側のみしか表現されないかりそめであり、その真実に皆が一斉に気が付く時がやってきます。そして愛とは、その両面を受け入れる行為であり、愛とその対象のみが次の世界に行く事ができます。

愛、神、全て、これらは同じものです。五次元とは、その全てと自らが同化する世界の事です。これから五次元という言葉を聞いた時は、分離にさよならする時が近付いたと思って下さい。「自分ではない」と思うものを愛し統べていく、五次元に向かう者はみなこのプロセスを踏む事になります。

まずは真実の嵐に備えて下さい。真実を知ってなおそのものを愛そうという決意を持つ時人は、空間に存在する全てを統合し始める事になります。一斉なる目覚めの時がそこまで近付いています。Love
by tenpapa2013 | 2019-07-18 15:15 | Comments(0)
奴隷は長くつながれていると互いに鎖の自慢を始めるそうです。僕たちもそうですね。学校や会社、収入などを競い合いそこに優劣を見出だして満足しています。この足枷を外した所には魂が震える程の素晴らしい世界が待っているのですがそこに足を踏み入れる勇気を持ち合わせている人はなかなかいません。

ほとんどの人が自分の評価を相対的なものとして捉えています。SMAPの歌にもあるように人は皆オリジナルであり、相対的な評価などというものは存在しないのが正しいのですが、僕たちに施された洗脳は思いの外強力で他人と比べての評価をあたかも人間としてのそれと思い込む事が当然となっています。

日本人は全てを東京本社に伺い立てるというジョークがありますが、これは他者からの評価及び相対的評価を求めた先の末路であり現実においてもこれに近いマインドが形成されているという笑えない事実でもあります。実際本人の事は本人にしかわかりません。そこに他者を絡める事は全くのナンセンスです。

他者と比べての評価、他者からの評価に一喜一憂する人はオリジナリティという人にとって最も大事な資質をその都度削り取っています。そしてオリジナリティの崩壊は深刻な精神の崩壊へとつながります。一度崩壊した精神は心の繋がりが失われた現代社会において戻す事は容易ではありません。

もしこの先アホになりたくないのなら、自分の評価に他者を絡める行為はもうやめる事です。評価は自分のオリジナリティについて自分がするもので他者は自分の評価には全く関係がありません。それらの呪縛から逃れ、他者という足枷をついに外す事ができた時、僕たちは真の自由へと向かうようになります。

自分のオリジナリティを無視して他者と同一化する事ほど危険な事はありません。オリジナリティを育てる最も簡単な方法は、嫌な事は嫌とはっきり認める事です。いい事はいいと素直に認める事です。他者に関係なく自分の想いをそのままに認める事でオリジナリティは回復します。他者の登場はその後です。

報道されるニュースとは裏腹にこれから世の中はどんどん楽になっていきます。足枷が外され鎖が解かれたなら素直に牢屋は出るべきです。鎖を自慢していた人は少々バツが悪いと思いますが主人がいないのだから牢屋は出るしかありません。外の空気を一旦吸ったら牢に戻りたいとは誰も思わないはずです。

外には自分を縛り付ける他者はもういません。その自由さはオリジナリティを失った人たちには少々試練かも知れません。それでも今まで味わった事のない解放感はオリジナリティを他者に任せてきた人にすらも自由の息吹を感じさせます。そして地球に立つ全ての人が愛と共に生きるようになります。Love
by tenpapa2013 | 2019-07-18 15:14 | Comments(0)
多くの人が、生きるためにはお金が必要だと信じます。しかし実際に必要なのはお金ではなく「モノ」であり、お金とはモノを得るための手段の一つでしかありません。お金があれば何でもできると考えるのも間違いです。お金はモノを得るための手段を制限するため、逆に何もできない自分になっていきます。

例えば、自分の家族を殺した相手にモノを売る店主はいないでしょう。本来なら、人が悪い心でいる時は生きるのが難しくなってしかるべきなのですが、お金がある事で人はそのような反省をせずに生きていく事ができます。逆に悪い心のお金持ちの方が、良い心の貧乏人より生きやすいのが今の世の中です。

お金は生活と心を分けてしまいます。心の働きに関わらず身体は生きていけてしまうという不思議な分裂症状をお金は引き起こします。まして現在の世は資本主義です。 心より資本の過多が生活の在り方に影響する、精神衛生上これほど悪い事はありません。さらに恐いのは誰もその事を疑わない事実です。

心の在り方が全てを決定づけるからこそ人生は楽しいのです。心に振り回されるからこそ、今を生きる気になれるのです。もしどんな心でも生きていけるとなったら、人は何を楽しみに生きればいいのですか?プログラム通りに生きる事の達成感ですか?そんな目的に満足できる程魂は単純ではありません。

いらないものを譲り受ける、お礼に頂く、交換するなど「モノ」を得るための手段は買う以外にもいくつも存在します。もし心の在り方が全てを決定づける事を認めるなら、今度は心の次元つまり常識を越えた形でモノが手に入るようになります。そうして人は心次第で何でも可能になる事実を学びます。

全てを可能にするのは、お金ではなく心です。お金はお金のある人しか幸せにしませんが、心にその制限はありません。お金は社会の中でしか通用しませんが、心は自然も含めた全ての事象に通用します。そしてお金は得るために働かなくてはなりませんが、心は意志次第でどのように変える事もできます。

それでもお金が欲しいと思う人は、お金は地球資源との引換券でしかないという事実をよく知って下さい。お金ならいくらあってもいいという人がいます。しかしそれは、自分は資源をいくら持ってもいいと言っているのと変わりません。もし全員がそれと同じ意識を持ったら、その先には戦争しかありません。

まず良い心であろうとする生き方をする事を勧めます。以前は人が良い心になるのを引き留める勢力が存在していましたが、今その勢力は力を失いました。どちらにしても、これから良心に目覚める人が加速度的に増えます。その引き金になるのはメディアの改心ですが、その片鱗が今あちこちに見られます。

お金より心を大事にするムーブメントに拍車をかけるために、そして本当は良い心なのに何かの理由で混乱してしまった人のために、このような情報を発信しています。この先そう遠くない未来にお金は今のような価値を全く失います。心の在り方が人生の全てを決定づける時がそこまで来ています。Love
by tenpapa2013 | 2019-07-18 15:13 | Comments(0)

■2002年の5月に山本太郎さんが書いた「神との対話」と言う本に宛てた寄書き■


『二十五歳になった時、納得できない大人になってたら、死んでやる』

十代の僕はそう思っていた。

芸能界に入ったのは十六。

まわりの大人がほとんど信用できなかった。

言葉巧みに操られ、自分の意思がひとつも尊重されていないような気がして、重苦しい毎日だった。

仕事先でよく、大人たちから「お前、ホントに十六か? 賢すぎるなあ」と言われていた。

適当なことを言っている大人が裏で何を考えているかを、いつもじっと見ていたからだ。

大人だけじゃない。何かに対していつも怒りがあった。むかつくヤツは消せばいい。

金がなければ奪えばいい。今さえよければいい。人生は一度きり。俺は俺の生きたいように生きる

——やんちゃな年頃とはいえ、ずいぶん刹那的な十代だった。

「だけど何か違う」、そう感じたのが二十一歳。

ちょうどその頃、姉がヨーガを習い始めた。

僕と同様、悩みが多くやんちゃだった姉なのに、ヨーガを深め、精神世界に興味を持つにつれ、

驚いたことに、会うたびにまるで薄紙が剥がれていくように内面の輝きが増していくのが見てとれた。

姉とは気が合わず、よく衝突していた母が、そんな姉の変容を見て、「私もそうなりたい」とヨーガを習い始めた。

母には膠原病という持病があったのだが、ヨーガを始めてからは徐々にその症状も安定し、どちらかというと、物質至上主義だった母が、姉の影響でいつしか精神世界へと⋯⋯。

そして、母の内面もそれまで以上に輝きを増し、大家族の愛と絆が深まった。

そして、これは効果がある、と僕もヨーガを習いに芝の増上寺に通うようになった。

ヨーガを通して身についたのは集中力。

僕は常にじっとしていられない子どもだった。

とにかく机に五分と座っていられない。

勉強は大嫌い。

字を読むくらいなら、どこかに遊びに行きたかった。

その、まったく本を読まなかった僕が、海外ロケの荷物に母が入れてくれた本を開く気になったのも、ヨーガで集中力がついたためだろう。

『神との対話』を読みはじめたのは、『世界ウルルン滞在記』の仕事で、パプアニューギニアのイリアンジャヤへ向かう途中だった。

七回も飛行機を乗り換え、最後はドラム缶と一緒に貨物用のプロペラ機で運ばれ、たどり着いたのは、「秘境」と呼ばれる地だった。

「文字に慣れていないから最初は読みにくいかも。でも、飛ばし読みはしないで、わからないところは元に戻って繰り返し繰り返し読めば、きっと意味がつかめるよ」と言う母の熱意に負けた。

始めからすんなり頭に入るわけではなかったが、集中して読み始めるとだんだん面白くなってきた。

道理に合っている事だらけだった。

科学者も政治家も、偉い誰も説明できなかったことをズバズバ切っていた。

イリアンジャヤに着き、ある部族と生活を共にした。

日本とはまるっきりの別世界だ。

食べものも違う。

生活もまるで違う。

十六くらいの健康な娘が子どもを産み、しつけや教育は酋長がする。

日本なら高齢者は、社会的には片隅に追いやられることが多い。

だが、ここには経験を積んだ人だからこそ、必要とされるぴったりの任務があり尊敬されている。

「若い者が子どもを産み、五十歳以上の成熟した大人がその子を育てればいいと『神との対話』に書いてあったのは、目の前のこれじゃないのか?」

本に書いてあったことを、この辺境の地で自分自身の目でしっかりと確かめたのだ。

帰国後も、まさに同じような出来事に気づかされた。

『神との対話』はいつのまにか僕にとってバイブルのような思い入れのある本になっていた。

破天荒だったこんな僕が変われたのは、この本との出会いがあったからだ。

だから、日々自分なりに本に書いてあることを実践している。

たとえば仕事を選ぶとき。映画やドラマでも、その時々で、スケジュールや内容、さまざまな状況が複雑にからんだうえで、選択を迫られる場面が多い。

そんなとき、損得や目先のことを考えるより、自分が本当に心からやりたいことをやるべきだ、と僕はそう肝に銘じている。

また、インスピレーションやヨーガで少しは開けた自分のカンを大事にするようになった。

決して大げさなことじゃない。

たとえば朝出かけるとき、ふと替えのTシャツをもう一枚持って出かけようかな、とひらめいたりする。

「まあ、大丈夫か」とそのまま出かけてしまったときに限って一日中動き回り、大汗をかいてびしょびしょのシャツで過ごすはめになってしまう。

そういうときは、朝のひらめきを逃した自分を疎ましく思う。

忙しさにまぎれ、つい「まあ、いいか」と気づかぬ風をよそおうこともある。そんな時は、「ダメダメ、これはきっと自分に必要なことは自分が一番知っているということだ」と立ち止まってチェックすることにしている。

もともと僕はクリスチャンだった。

だが親がそうだったから洗礼を受けただけで、僕にとってみれば単なる儀式だったにすぎない。

子どもの頃から事あるごとに自分の勝手で神様に祈ったりしたけれど、その願いは届いているのかいないのか。

悪事をしては、あの鋭い母にかかるとすべてお見通しで、ベッドの中で何度「クソ神様!」と呟いたことか。

そのうち、大きくなると、「神様がいるのなら、なんでこんなひどい世の中なのか? 本当は神様なんていないのでは?」とむかつくようになっていた。

でも、今は違う。

この本に書いてあるように、神が自分と同じようなものとして人間をつくったのなら、自分たちの力で世界は変えられるんじゃないかと思う。

今は僕は特定の宗教を信じているわけでもない。

キリストやマホメット、ブッタとか、特別に信仰している神や仏もいない。

だが、いつもなんとなく、目に見えない大いなる神の存在はあると確かに感じている。

どこかに向かって祈るわけじゃない。

だが、どんな人も何かに夢中になっている一番ピュアな状態が、神に近いような気がしている。

また、殺戮や貧困、飢餓という悲惨な状況下の人を行動で見るたびに心が痛むのは、僕の存在意識に「地球人」、「みんなと家族」という考えがインプットされているからだと思う。

うちは母子家庭だが、物心ついた頃から母は子どもにいっさい隠し事をせず、「ボーイフレンドができた」「今月はもうこれだけしかお金がない」など包み隠さず話してくれた。

母が死んだあとでも、何が起きても動じないよう、この世の中で起こり得るすべての事に対処できるようトレーニングを施してくれた。

僕が悪事を働いたときは、納得するまで説教され、キッチリとけじめをつけられた。

母親としてだけではなく、人間として真正面から向き合ってくれた。

母親でありながら、「いい師匠に当たったなあ」と思わせてくれる母も、『神との対話』に書いてあるような「家族」というものの愛と大きさを、教えてくれているのかもしれない。

自分が自分らしくない時。

最高の考えも持てない時。
高いビジョンなどとんでもないという時。

残念ながらそんな日は多々ある。

そういう時、僕は『神との対話』を読み返す。

目次を見て、目についたところをぱっと読む。

地方ロケに行く時にも、ぽんと鞄に放り込んで行く。
もし、僕も神と対話ができたら聞いてみたい。

「地球はこれからどうなるのか?」と。


二〇〇二年五月

山本太郎



以上がエッセイの抜粋です。

現在、2019年7月。17年前に書いたエッセイです。

更に進化し磨きがかかっている山本太郎さんを、心から応援しています。


by tenpapa2013 | 2019-07-18 02:00 | Comments(0)